Kai Raine

Author of These Lies That Live Between Us

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鏡の向こうの殺意

鏡の向こうの殺意

西暦2012年

「ヲーディングさんの部屋にはにあなたたち6人しかいなかったんですよね」

警察官が眉にしわを寄せて問いかけた。

「いませんでしたよ。私たち5人揃ってリビングにいました。ずっと」

赤い髪の女性がハンカチで涙をぬぐいながら答えた。

「事前に何も聞こえなかったんですか?」

警察官があえて聞いた。女性は首をゆっくり振りながら、吐き気を抑えた。彼女はすでに何度か吐いていた。

「聞こえてませんよ。鏡が割れる音と悲鳴まで何も聞こえなったです。あの後、呼びかけましたけど返事がなくて。トイレのドア開けたら死んでました。」

「悲鳴が聞こえてから死体が見つかるまでどれほど時間が経ちましたか?」

「5秒とかじゃないですか?あ、でも少しためらったのかも…でも廊下も長くありませんし、長くても20秒以内でしたよ。」

 警察官はため息をついた。なぜ親に従って弁護士になることを選ばなかったのだろう。

「じゃあ、30秒ほどとしましょうか。ブランチェさん、絞殺というものはそう早くできるものじゃないんです。悲鳴をあげた人間が30秒後に窒息死することなんてありえないんです。考えてください。思い当たることなど何もなかったんですか?」

「えっと」

と考え込んだ女性が何が思いついたような顔をした。

「確かにトイレに入って行くところは見てません。みんなも見てなくて、だから悲鳴が聞こえた時に少しためらったのかも。それで…」

 女性は涙を拭き、笑顔に似ても似つかない表情を見せた。強がりが似合わない子だ。ナメクジをいくつも飲み込んだ直後のような顔になっている。

「すみません。役に立ちませんよね、こんなの」

「遺体を見たときに不自然な点はなかったのですか?悲鳴は?被害者の声に間違いなかったのでしょうか?」

「不自然とかわかりません。それに、声も本人のものでしたよ」

 警察官は首を振りながらも呆れ果てていた。20秒で悲鳴をあげた人間が窒息死することの不可能生が伝わりきっていない。だが、死体を発見した5人がまとめて全く同じ証言をしている。アガサ・クリスティーの『オリエント急行の殺人』が警察官の頭をよぎったが、被害者の首についた手の後に合う者は容疑者5人のうち一人もいなかった。形をごまかすために手袋のようなものをつけたのならあれほどくっきりと跡は残らない。どこか辻褄が合わないが、捜査に何を見落としたのか見当もつかない。

 5人の被害者を帰すしかなかった。ヲーディング・エヴァリンの部屋で起こった殺人は迷宮入りした。

西暦1902年

 ミルドレッドはティーカップをテーブルに置き、親友に深刻な目を向けた。

「私、何かに取り憑かれてるのよ」

 ナタリは一瞬固まり、そしてティーカップの上から軽く笑いかけた。

「何を言い出すのかと思った。取り憑かれてる?もうそんなことを言うのは遅いわよ、ミル。化け物だの交霊会だのが流行っていた時期はとっくに過ぎてるわ。私に言わせれば、大の大人がお化けに取り憑かれた演技するのも見るのも、どこが面白いのか未だに全く分からないけどね」

「違う!」ミルドレッドは張った声で切り返した。「ただ言ってるわけじゃないの。取り憑かれたとしか説明がつかないの。ナタリ、私が鏡に映ると、映った姿が話しかけてくるの。」

「何言ってるのよ。」

「私の姿が。鏡ごしに。話しかけてくるの。勝手に。」

 ミルドレッドはゆっくり、わかりやすく、大きな声で繰り返した。

 ナタリ=バンクロフトは一瞬キョトンとした顔でミルドレッドを見つめ、そしてゆっくりティーカップをテーブルに置いた。

「あのね、ミル。友達として言うけど、こんな冗談はおよしなさい。情けないわ」

「冗談じゃないし、ナタリ以外話せる相手なんていないの!」

 ミルドレッドの声はけたたましく甲高くなり、ナタリは心の片隅で、ミルドレッドが心のままにオペラの歌手にならなかったことを相変わらず残念に思っていた。だがそれどころではない。言葉を丁寧に選びながら、ナタリは静かに、優しく問いかけた。

「ミル…最近酒とか薬とか、飲みすぎた覚えはない?」

「なんてこと言うの!」ミルドレッドは椅子から飛び立った。「なんで…ナタリに限って…私が心を濁すものは医者に勧められても一切口にしないって知ってるでしょ?」

「でもミル、お願いだから目を覚まして。フォール夫人のようなこと言ってるわよ」

 ミルドレッドは目を大きく見開いた。

「それなの、ナタリ。あの最後にフォール夫人に会いに行くまでこんなことは起こらなかったの。私ね、夫人が年で混乱してたわけじゃなかったと思うの。この、私に取り憑いたものがフォール氏を殺したと思うの。彼が死んだ後で夫人は用済みだったのか、こういう呪いなのか、それから同じものが私に取り憑いて-」

「お黙り、ミル!」

 ナタリは背骨をピンと伸ばし、鋭く言った。部屋の入り口に現れた執事は二人の様子に一瞬佇んだが、バンクロフト伯爵夫人の鋭い眼差しに促されて進んだ。トレイを出され、ナタリは三枚の封筒を受け取った。執事は一度頭をさげると、トレイと共に立ち去った。ナタリが手紙を開けている間、ミルドレッドは再び席に着き、頭をテーブルの上に下ろした。

「どうしたものかしらね」

 しばらくして、ナタリが手紙を横に置き、ティーカップを再び手に取り、ミルドレッドに話しかけた。

「考えて見なさい。今私たちはガラス製の温室の中よ。ガラスに映った姿は問題ないのに鏡に映った姿にだけ話しかけられてるとでも言いたいの?」

「その通り!」

 ミルドレッドは頭を上げて硬く頷いた。

 ナタリは唇を硬く結んで一瞬ミルドレッドを見つめ、決心した。ティーカップを置き、テーブルの中心に置かれた銀の鈴を取り、軽く鳴らした。室内で鳴らされたその音はうるさく、耳障りで仕方ないが、この温室だけでは広さが影響して、心地よく響いた。すぐドアの反対側にいたのだろう、数秒もしないうちに執事は現れた。

「鏡を持ってきて」

 ナタリの命令に頭を下げ、執事はまたいなくなった。ミルドレッドは目を大きく見開いた。

「ダメよ!わかってないのよ、ナタリは、あれがなんてことを…私に何をしているのか…あれがどんなに極悪なのか…!」

 だが、ミルドレッドがぎくしゃくと説明に困っている間に執事は鏡を手に戻り、ミルドレッドは黙りこくった。ナタリは曽祖母のものだった大事な銀の鏡を受け取り、執事が立ち去るのを待った。ドアが閉まると同時に、何の前触れもなく鏡をミルドレッドへと向けた。

「また逢えたね。どこに行ったのかと思ったよ。寂しかった…」

 鏡から出てくる、ミルドレッドの声に似ても似つかないその声に驚き、ナタリは危うく大事な鏡を落としそうになった。ミルドレッドの顔から血の気がなくなった。

「やめて。お願いだから鏡を放して!」

 ナタリは鏡の向いた方向変えようと、そして手放そうとした。だが手を思うように動かなかった。

「この意味、あなたにもわかるでしょ?」

 鏡からその声が聞こえると同時に、鏡の中から腕が一本伸びてきた。ナタリは悲鳴をあげた。すぐにミルドレッドの悲鳴も混ざった。

 執事が現れた頃には、先ほどまで悲鳴をあげていたはずの女性が死体となって床に転がっていた。その首の周りには紫色の手形がくっきりと残り、大事な鏡の枠はまだその手から床に落ちていた。だが鏡の面はガラスの粉となり、テーブルの上に巻き散っていた。生き残った女が床に座り込み、息さえできないように泣きじゃくっている姿を見ながら、執事は、彼女が物理的にどうしてこんな犯行を行ったのか、そしてどう数秒でこんな有様にできたのか全く見当もつかなかった。

西暦2012年

 エヴァリン=ヲーディングは、普通の人生を送っていた。毎朝6時半に起きて、シャワーを浴びる。メイクをつけ、髪を整える。時には朝食も食べる。7時半には部屋を出て、角のバス停で通勤を始める。地方検事の事務所で秘書をやっているエヴァリンは、たまに文句を言うが、その仕事が好きで仕方がない。たまには仕事の後に仲間と一杯飲みに行くが、必ずその後は帰って夕食を作って食べる。真夜中過ぎに寝て、翌朝また6時半に起きる。

 エヴァリンに言わせれば、その人生は退屈なほど普通だった。

 だからこそエヴァリンは今、見開いた目でマリアン=フィールズを見ながら言葉を忘れ去っているのだ。マリアンは顔の横で垂れ落ちた金髪の髪を上品に手で払い、軽く笑っていた。

「本当にそこまで驚くことかしら?私もエヴァリンの家に上がるたびに思うし、上がったことのあるみんなもそう思ってるみたいよ」

「みんなでこんな話してたんですか?」

「一度話題になったくらいだけど。でも、エヴィ、自分でも思うでしょ?」

「思いませんけど。部屋を借りた時は鏡が付いてなかったので、買おうと思ったことがなかっただけです。」

「そこが不気味なの」

 マリアンは軽く首を傾げた。この話がマリアン以外の誰かとの会話なら、エヴァリンの模様替えのセンスについてのたわいない話で済んでいただろうが、マリアンが相手だとそうはいかない。

「ほら、吸血鬼の話とか映画やテレビで最近流行ってるじゃない?だからエヴァリンがそういうの間に受けすぎてハマってるんじゃないかと思っちゃって少し気味悪くなるのよ」

「そんな馬鹿げたもの見たことありませんよ、私」

「私が口を出す幕じゃないけどね。ただ、洗面所くらい、鏡を取り付けた方がいいと思うの。女が部屋に一つも鏡置いてないなんて、おかしすぎるわよ」

「私は-」何か言いかけたエヴァリンは一旦口を閉じ、そして言い直した。「ただ必要ないだけなんです。使わないんです」

「それは明らかね」マリアンの笑いは、気の悪いものではない。「別にいらないなら無理にとわ言わないわよ。ただ、あった方が友達が来た時とか落ち着いていいんじゃないかしら」

 マリアンが靴を床に鳴らせながら去るのを見つめながら、エヴァリンは考えた。友達が上がるのも月に2、3度に限っている。気にすることではない。

 しかし、帰りにエヴァリンはデパートに寄った。鏡が置かれているだろう方向を目指し、ちょうど目に入ったところで店員に声をかけた。

「あそこの鏡をください。丸い鏡」

「わかりました。もう少し近くでご覧になりませんか?」

「結構です。包んでもらえますか?」

「ええ」

 答えながらも店員は不思議な顔をした。だが、鏡を取り、包み紙が置いてある奥へ持って行く間、ずっと離れて立っているエヴァリンにそれ以上何も言わなかった。

 店員が去った後、エヴァリンは落ち着かずに会計の方へ歩いたり戻ったりしていた。普通にこだわりすぎる自分を責めているのだ。なぜここまでマリアンの言葉を間に受けなければならないのだろう。自分の人生は自分のものでしかない。友達や仕事仲間に陰で鏡の有無に関してどう言われようが、どうでもいいはずではないか。だが、紙に包まれた鏡を持った店員が戻ってもエヴァリンはそこに立っていた。不安にエヴァリンは鏡の入った紙を見る。店員にそれを渡され、そっと、まるで大事なものを扱うかのように受け取る。

 部屋に帰ると一直線に洗面所にその鏡を持って行った。洗面台の上にはエヴァリンが外さなかったフックが残っている。鏡の裏の紙を剥がし、そのフックにかける。そして自分の姿が写らないように、横から残った紙をとる。紙が床に落ちると同時に、バスタオルを鏡の上にかぶせていた。何も映っていないことを確認すると、ため息をついてキッチンに戻る。喉が渇いている。

 エヴァリンの生活は鏡の存在に左右されずに続いた。だが、それは友達を部屋にあげた時のことを考えて買ったものだ。あるからには友達を呼ぶべきだろう。そこでエヴァリンは、マリアン=フィールズを含む5人の友人を土曜のブランチに招待した。

 土曜日の朝、身支度を済ませたエヴァリンは念入りに横からタオルを鏡から取り除いた。そして洗面所のドアを閉め、ブランチの支度を始めた。

 最初に到着したマリアン=フィールズの目が部屋の壁を見回しているところをエヴァリンは見落とさなかった。ジョーとケーティ=ペアソンが来ると同時に、静かに廊下に入って行くマリアンの姿も見えていた。ここまで鏡の存在にこだわるマリアンこそ普通なのだろうか、という思いが一瞬頭をよぎった。

 だが彼女の言葉を真に受け、鏡を買い込んだのは何を言おうとこの自分だ。

 マリアンがバスルームから戻るにそう長い時間はかからなかったが、その時にはシルヴィア=ブランシェとルーク=カーペンターも到着していた。エヴァリンは料理しながら、シルヴィアとジョーと会社の健康保険について語り合っていた。

「鏡買ったのね。ホッとしたわ」

戻ったマリアンは何の前触れもなく言った。

「あ、やっと買ったのね!」

シルヴィアが言う。

「よかった。私、あの吸血鬼の噂真に受ける寸前まで来てたの」

ケーティまで口を合わせている。

「吸血鬼の噂なんてあったの?私、エヴィが自己評価低くて鏡嫌いなのかと思ってただけどね」

シルヴィアが笑う。

「前に来た時、歯と歯の間に何か挟まってる感覚があってさ、取ろうとバスルーム行ったら鏡の一つもなくて困ったよ」

ジョーが愛想良く語っている。

「個性的で僕は好きだったけどね。エヴィの個性が一つ減っちゃった気分」

ルークがエヴァリンに笑いかけて言う。

 みんな揃って笑っている。エヴァリンも笑うが自分の声が疳高く聞こえて仕方がない。他にはどんな個性を見抜かれているのだろうか。

「でも真面目な話、そんなに気にしなくてもいい話よ」

マリアンが温かく微笑んで言う。エヴァリンは声に笑いを含ませようと頑張っていた。

「本当にね。鏡一つに何ですかね、この騒ぎは」

「わかった、わかった。でも個性的だって言ったろ」

ルークが言う。

「ルーク…」

 エヴァリンの注意にルークは口のチャックを閉める真似をした。他の4人は笑った。

「でさ、太平洋のあの津波の話聞いた?」

 マリアンが話題を変えてくれた。

「また?聞いてないね」

「今朝のニュースでやってたわよ、あなた」

ケーティがため息をついてジョーに言う。

「新郎の鏡ね。世界中何一つ気にしない雰囲気」

シルヴィアがからかっている。

 10分後にタイマーが鳴り、エヴァリンはホットケーキをオーブンから出した。

「りんごの焼きホットケーキか。聞くのも初めてだ」

ルークが言った。

「なら楽しみね。エヴィの焼きホットケーキは世界一だから」

シルヴィアが答えた。

 ホットケーキを6当分に切っていたエヴァリンの顔が真っ赤に染まった。手に持ったナイフが滑り、絶叫の声とともにナイフを落とした。

「どうしたの?」

ケーティが背伸びして声をかけた。

「何でもないです。ちょっと切れただけ。絆創膏見つけて来ます」

「私も一緒に」

 立ちかけたマリアンにエヴァリンは首を振った。

「大丈夫、かすり傷程度!気にしないでください」

 廊下に入ってからエヴァリンは初めて指を包んだ拳を開いて見た。思ったより深く切れているかもしれない。傷から垂れた血で指を包んだ手のひらが染まっている。血が床に垂れぬよう、エヴァリンは拳を再び握りしめて洗面所へ急いだ。

 洗面台の上に手をかざし、蛇口を開けた。血と水が混ざりながら流れていく。

「久しぶり、エヴィ」

 その声にエヴァリンは驚いて心臓が止まりそうになった。顔を上げると、鏡に映った自分の顔が笑いかけている。

「またここに戻るのね。馬鹿な子。逃げ回ってなければ2人で力合わせてすごいことができたのに」

「嫌だ」

 エヴァリンの声は頼りなく弱い。手が震えている。逃げたいが動けない。誰もこの場へ来ないことをひたすら願うしかない。忘れられた切り傷から血が洗面台に流れ続けている。

「ドッペルゲンガーには人間の域を超えた力があるのよ」

「でも目的は一つしかないじゃない」

 囁くエヴァリンの声はそよ風より優しく、心臓の脈は子犬のものより速い。決心し、エヴァリンは肘で鏡を叩いた。罅が蜘蛛の巣のように肘を中心にできた。鏡の破片がいくつか床に崩れ落ちた。だが鏡の中の姿は笑い続けている。

「そうね。だからって止めようとしたからにはどうなるか分かってるでしょ」

 鏡の中から手が伸びる。部屋が揺らめき、鏡が粉となった。エヴァリンは声が出せなかったが、誰かが悲鳴を上げた。

西暦2015年

「教授!ヴァン教授!」

 ヴァネッサはひたすら走りながら呼びかける。

「何だね」

 教授は笑かけて返事する。足取りを緩めないが、ヴァネッサは追いついて横を歩く。

「期末論文に使いたいテーマを見つけたんです」

「いいね。そのテーマは何かな?」

「今日の授業でドッペルゲンガーの話をしてたの覚えてますか?自分そっくりの人を見たらそれは死の前兆って言われてた話。あ、覚えてますよね、教授がしてた話ですし。とにかく、それで考え出したんです。私、怪奇現象とか、説明の付かない出来事に興味があって、よくそう言う事件集めてる番組とか見るんですよ。普段は考えないような説明を見つけたりする--」

「ヴァネッサ、テーマの話だ」

 割って入る教授は優しく言う。番組の説明の方に話が逸れそうで促している。

「あ、そうでした。こないだ聞いた話ですけど、ビクトリア時代のイギリスから現代まで続いている連続殺人の話やってました。おかしな話ですけど、前の殺人の場にいた人が必ず次の殺人の場にいるんです。だから繋げて見れるんですよ。で最後に見つかった殺人がたった3年前のことで、えっと、エヴァ=ヲーズ?とかっていう女の人が--」

 ため息をつきながら教授はヴァネッサの話に割って入る。

「何度も言うようだけど、私が教えているのは民間説話や伝説だ。他のみんなの期末論文のテーマはアーサー王だの、ロビンフッドだの、グリム童話のような内容だ。ヴァネッサの発想は新鮮で面白いけど、この講座にはもっと歴史的な民話を求めてる。私たちを囲む身近な怪奇現象も個人的には興味を持っていても、この講座には合ってないんだ」

「でも、伝説とか民話を中心に論文にできるんです!聞いた話ですと、鏡嫌いの人が鏡に近づいたところで事件は起こるんです。その場に必ず2人傍観者がいるんです。すると、傍観者の内1人は殺されて、もう1人はあとから鏡嫌いになって、次の事件にも必ずいるんです。だから、ドッペルゲンガーの民話を集めて、それが元々鏡に映った姿のことを言ってたんじゃないかって内容の論文を…」

 教授の顔を見たヴァネッサは言葉に詰まる。息を飲むヴァネッサは、まずい、気づかれた、と思う。

「鏡嫌いの人が鏡に近づくと傍観者が殺される…。じゃあ、君が言いたいのは、ドッペルゲンガーは鏡に映った姿であるが、本人は殺さないと言う流れか?それではただの殺人で説明がつくじゃないか。怪奇現象ですらないだろう」

 ヴァネッサはため息をつく。

「確かにそう考えられますけど、でも」

「ダメだ。」

 言い切った教授はヴァネッサに背を向けて歩き続ける。

「ちゃんとした論文にできます!」

 道の凹みに足をすくわれたヴァネッサは躓き、そして教授を早足で追う。

「ドッペルゲンガーが見える人、ドッペルゲンガーが乗り移る人、被害者と、3人集まったところで事件は起こるんです。3人揃うことが鍵を握る伝説は他にもあるじゃないですか。だからそういうのも含め、いくつかの民話の流れをまとめて見るのもいいんじゃないかと思ったんですけど」

 だが教授は首を振る。

「ごめん、ヴァネッサ。その論文も面白そうだけどね、この講座には合わない。講座とは別として書く気があるなら、見直してアドバイスするよ。だけど講座に関してはもっと授業の内容に近いテーマを選んで論文を書きなさい」

 ヴァネッサはため息をつきながら諦める。ドッペルゲンガーの案は捨てて一から考え直す。夕方には鏡のドッペルゲンガーの話などとうに忘れている。

西暦2012年

 警察の事情聴取を終えたエヴァリンは、公園で長い散歩をするようになった。心を縛っていた鎖が取れたような自由を感じていた。だが、いなくなった鏡の双子に自分を容疑者から外すような証拠を残されて自由を保てていることが、新たな鎖となって魂と心もろとも縛っていた。

 洗面所の鏡をもう2度と覆うことはなかったが、使うこともなかった。鏡を見るたびに心臓が止まる感覚があり、できる限り洗面所を完全に避けて生活していた。だが、起こった事実と誤魔化された事情を一瞬でも忘れてはいけない。だから変えてはいけないような気がしていた。自由になったので初めて仕事先のトイレに入って見た。その壁にかかった大きな鏡はもう恐れる必要などない。トイレから出たエヴァリンは上司のところへ行って退職届を出した。新しく精神を人質とする鎖の中で今にも壊れてしまいそうな自分がいるのだ。

 一つだけある慰めは、マリアンの死をひどく悲しんでいるのは自分1人ではない事実。シルヴィアも呪われたような顔をすることがある。最初の数日間、エヴァリンはあの最後の一瞬を常に生きている感覚に囚われていた。洗面所とリビングの間で、マリアンと一つになったような、2人で首を絞められている死にかけた身体と安全なリビングにいる身体を同時に感じたような、不思議な感覚があった。エヴァリンは苦しみから遠い方の身体の方へと動いた。すると、止まっていた時間が再び動き出したように、エヴァリンはなぜかリビングに座っていたと気付いた時、その瞬間に自分の目を見た人がいたのなら、何が起こったのか一目瞭然だったのではないかと思う。確信はないが、マリアンを殺したのは鏡の中の双子ではなく、安全を選んだ自分だとわかっている。

 ケーティが、「あれ、エヴィ?ごめん、てっきりまだ奥にいたのかと…じゃでも、今のは誰…?」と言った時、エヴァリンは見抜かれたと思った。しかし、洗面所へ走りマリアンの死体を見つけた時からいつエヴァリンが戻ったのか、いつマリアンがいなくなったのかなどと言う人はいなくなった。その後の混乱の中で、マリアンがリビングを出たところを見た人が1人もいなかったことを全員揃って忘れていた様子だった。

 何分、何時間、何日、何週間過ぎても、エヴァリンを責めるようなことを言う人は1人もいない。むしろ、自宅で犯罪を犯されたエヴァリンを気にかけている様子があり、エヴァリンはそれに甘えるようになっている。

 公園にはパンを持って行き、池で鴨に餌を与えてた。幸せってこんなものなのかな、と考えるエヴァリンの髪を、そよ風は優しく撫でる。

「エヴィ?」

後ろから呼びかけられて振り返った。知っている声で、振り返る以前からエヴァリンは笑顔だった。

「シルヴィア。どうしてる?あの…事件以来あまり見ないから心配してましたよ」

 シルヴィアはため息をつき、エヴァリンの横に立った。

「エヴィと同じじゃないかしらね。もし時間あったら、ちょっと家寄ってくれない?訳あって捨てたい家具があるんだけど、1人じゃ持ちづらくて」

「もちろん。今行きますか?」

 シルヴィアは頷いて、すぐに歩き出した。エヴァリンは急いで残ったパンをカモに与えて早足で追った。

 4時間後、近所の公衆トイレの床でピザ配達していた青年が丸くなって泣きじゃくっている姿が警察に見つかった。洗面台の下で排水管にしがみつきながら言うたわごとは、「鏡」の一言以外聞き取れるものはいない。道の反対側のアパートで殺人を調査していた警察は青年を容疑者と見て署に連れて行った。だが殺人が起こった部屋の住人だったシルヴィア=ブランシェと同じく、証拠がつかめずに帰すしかなかった。エヴァリン=ヲーディングの殺害は迷宮入りとなった。

籟根海作

英文は短編集の一部で、ネット上には公開されていません。

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